あまりネットで見ないことを書く。
とち狂っているのは分かっている。私は包み隠さずそれらをあけっぴろげにする。
ならばこの特性を活かして、遺すべき事実をば。
ちなみにこの更新も、薬をキメて割とハイ!両手は震え!物が二重に見え!左耳は全く聞こえない!Tシャツが動くさまを肉眼で確認できるくらい動悸がしている!噛み締めすぎて唇から血が出ている!@スタバという状態のもとだと言及しておきたい。
・双極性障害(躁うつ病)
・ADHD
・境界性パーソナリティ障害
・不安障害
・統合失調症+自律神経失調症+ノイローゼ
という医者からの診断は、私のごく一部であることを大前提で。
OK、
地球人/女/27歳/2021年に存在する私。
ここ最近は【終活】に励んでいる。
端的に言うと【死への手記】を遺す意識に支配されている。
携帯(ガラケー)を持った中学3年の頃から、私は文章を書き続けてきた。
出先で「たまらない」と感じた瞬間に、メールの下書き機能を使って。
郊外電車に揺られる通学途中。
何かしらの集まりの最中。
恋人との駅での待ち合わせの片手間。
それは日記であり、ポエムであり、単なる客観的事実の描写であった。たった二行でも原稿用紙10枚分でも構わなかった。
・違和感を覚えた理由。
・愛おしく、抱きしめたくなる事象の共通点。
・周囲の期待する『私』のための、あす以降のシナリオ。
良い意味・悪い意味における「たまらない」を書くことで、思考を整理し、自分の宇宙を修正し、正気を保っていた。
傍ら、読書感想文を書けば評価してもらえた。
15歳のとき書いたエッセイが賞を受賞した。
出版社の専属物書きをすることになった。
停学を喰らっても反省文で褒められた。
体感した「たまらない」を織り交ぜながら、表現する世界観。
利益のために本名を伏せて筆を執るのも厭わなかった。むしろそれが性に合っていた。
「たまらない」を言語化しようとする自分の側面は気に入っていたし、総てのバランスはそこにあった。
10代の私は、生きるために物を書いていた。
20代に突入してもこの心の機微には誰も気づかなかった。気づかせなかった。
私が全く眠れないでいることにも。
ウォークマンの充電を常に気にかけ、音楽に執着する理由にも。
この頭が現実世界から何百万年も離れた場所にあることにも。
両親や姉、学校という概念すらないことにも。
肉体があくまでこの地にあるだけということにも。
20代もいよいよ後半になった。
苦しみに比例して、思考のスピードも加速していった。
「たまらない」を正確に書き起こせなくなった。追いつかなくなった。
同時進行で、日々の大抵の出来事はもう私の宇宙を揺り動かしはしなくなった。書くに値しなくなった。
総ては音のない風のように、私の真横をひゅうっと過ぎ去っていくだけ。
空虚を空虚のまま送り出す毎日になった。
私にできることは、音楽のボリュームを上げること、幾度も自殺を図ること、警察沙汰を起こすことだけだった。
『表現しないまま』という沈黙の深さの影響は、自明であった。
一周巡って悟りに悟りきった今。気力のない今、再び何かを書こうとしている。
が、昔と異なる点がある。
私は、死ぬために物を書こうとしている。
【死への手記】なるこのブログをいきなり晒した背景もここにある。
私を支配し、突き動かしているもの。
私惠子、終活中。
2021/06/17 royalpain
19:18