Seize the day

悟りの境地で鬼ダンス

 

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ご協力、ありがとうございます。
白衣を着た女の人が言う。ぼくが入ってくるのを待ち構えていたように。
でも、ぼくには感謝される謂れなどない。後ろめたさすら感じる。

 

受付で赤いカードを出して、タッチパネルで簡単な問診を済ませた。
それではお掛けになってお待ちください。
待ってましたと言わんばかりに、僕は空いている席に座る。
テーブルの上には山盛りのお菓子。ソファーの横にはよりどりみどり、紙コップの自販機がある。
そこにお金を入れる穴はなく、代わりに『無料』と書かれたステッカー。
ぼくはその自販機から100パーセントのぶどうジュースを選んで、豪快にすする。自腹を切って買ったときは、ちびちび飲むくせに。

 

ひとしきり喉が潤ったら、今度はお菓子。どこぞの高級ホテルの名前を冠したドーナツを、ひとくち。
ああ。おいしい。
献血ルームの待合室には、無料のお菓子とジュースがある。ぼくはこれが好きなのだ。
献血は、単なるおまけのようなもの。名前を呼ばれるまでの数分と、献血し終えたあとの数分。
ぼくは、お菓子とジュースのためだけに献血に行く。ただそれだけ。

 

今日とて同じだ。ただ違うのは、担当の看護師さんがいつもより少し、ほんの少しだけ、口数が多いということくらいで。
「体調は悪くない?」
柔らかい物腰の女の人が、ぼくの身体にタオルケットを掛けてくれる。
慣れた手つき。右腕にゴムチューブが巻かれたかと思うと、返事をするより先に、針が腕に刺さっていた。
針の尻からはクリーム色の細い管が伸びていて、その管は透明の袋に繋がっている。針と管を通ったぼくの血は、少しずつ、この袋を膨らませていくのだ。
さっき飲んだぶどうジュースの何倍も黒くて、濃い血。
毛布に包まってミノムシ然としたぼくは、じっとそれを見る。
そばに置かれたテレビの移す野球中継には目もくれず。

 

「不思議じゃない?」
突然話しかけられる。
「え?」
「これが、誰かの身体に流れるなんて」
「……」
「誰かと繋がってるというか。一緒に生きてるような気がしない?」
彼女はまるで友人に話しかけるような、親しい声遣だった。
けれどもその表情は真剣で、なんだか同意を求められているような気がしないでもなかった。
ぼくはただ曖昧にうなずいて、半分ほど膨らんだ袋に目線を戻した。

 

ぼくの血は、どこにいくのだろうか。ぼくの知らないどこか。知らない誰かの、身体の中。
知らない誰かなのに繋がっている、というのは確かに不思議だ。

たとえば、目の前のテレビに映る野球選手は、応援しているファンと繋がっているのだろうか。
ぼくが好きなひとに手紙を書いたり、友達に連絡したりすれば、その人と繋がれるのだろうか。

 

人間は社会的動物。生物の授業で教師が言っていたことを思い出した。
人間は、誰かと繋がることで社会に馴染んでいき、生きているという実感を初めて持つのだ、と。

 

ぼくは、目の前の人とも、見えない誰かとも繋がっていたい。できるだけたくさん。できるだけ長く。

 

袋がいっぱいになった。
女の人が針を抜きながら言う。
ご協力、ありがとうございます。今度はちょっと大人びた声遣で。

献血を終えて待合室に戻る。腕に脱脂綿を押し付けながら、ぼくはコーラを飲んだ。
黒くなかったな。さすがにここまでは。

 

ぼくは思いついたように携帯を取り出した。目についた友人を選び出して文章を打つ。
何のことやら理解されなくても、とにかく伝えたかったから。
献血ってすげえな」

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royalpain 2022/05/27

 

01:30