Seize the day

悟りの境地で鬼ダンス

「月が綺麗ですね」「今なら手が届きそうです」

コラムを書いたのですがこっちに載せます。

 

=======================

「月が綺麗ですね」を「I love you」としたのは夏目漱石とされていますが、漱石よりも昔の時代の人たちはどんな気持ちで月を眺めていたのでしょうか。

 

柔らかく霞んだ春のおぼろ月。涼しさを感じさせてくれる夏の月に、澄みきった秋の月。凍てついたような冬の月。
四季それぞれの月の美しさを私たちは知っていますよね。日本には、中秋の名月が美しく見える夜に行う、お月見の文化もあります。


しかし昔の人にとって月を眺める機会は、今の私たちより格段に多いものでした。
なぜなら、月の満ち欠けに基づいた太陰暦が用いられていたから。月の形で「今日は〇日あたりだなぁ」と理解できたのです。いわば月はカレンダー代わり。非常に身近な存在ながら、夜ごと思いを馳せる対象でもありました。

 

万葉集』には、恋心にちなんで月について詠まれた歌が約200首ありますが、この時代、実は月見の風習すらなかったのです。
平安時代になると、唐の「観月の宴」にならって宮廷の行事として「観月の宴」がようやく開かれるようになります。これは宮中の行事とされたため、貴族の私邸でも行われました。『源氏物語』には秋の名月を愛でる場面が多く見られますよね。
平安時代の人々の月への理解は、漱石にも負けないほどに個性ほとばしるものでした。

見る人の心まで澄んだものにしてくれる、清らかな月。
極楽浄土が西の彼方にあると信じられていたため、極楽浄土に往生したいと願う人が焦がれる、西の山に沈む月。
昔見たものと変わることがないため、昔を思い出させる月。
空ばかりではなく、水面にもうつる月。
離れた所で同じ月を見ている人が映るのではないかと思わせるような月。
これらは当時詠まれた和歌から読み取ることができます。

 

一方で意外な解釈もあります。
竹取物語』では、月は不老不死の国として描かれていますが、「月を見るのは避けるべきだ」という意味合いも記されているのです。
実は『源氏物語』の宿木の巻にも、「月見るは忌みはべるものを」とあるのです。
理由は明確ではないですが、『古今和歌集』の「おほかたは 月をもめでじ これぞこの 積もれば人の 老いとなるもの」、
「そもそも月を愛でるべきではない。月が積もり積もれば人の老いになるからだ」という歌にヒントがありそうです。
前述したように、暦では月の満ち欠けを頼りに日数を数えます。このため「人は月を見ながら老いてゆく」、ならば「老いにつながるのであえて月を見ない」、というわけです。
美しいものには毒があるとはよく言ったものです。

 

「月が綺麗ですね」における漱石のロマンチックな解釈は、こういった教養のもと生まれたのではないでしょうか。


昔の時代の人々は、非常に豊かな心を持って月を眺めていました。
みなさんの中で、月はどんな像を結んでいますか。

================

 

2022/03/05 royalpain

 

1:36